進撃の軌跡

はじめに

これは初見当時
リアルタイムで呟いた感想を
そのまま引用した記事でございます

出会い

志田は「進撃の巨人」の熱狂的な読者ではなく
アニメを一周した程度の者でございました
実は「エンタメを啜ってたら」出会ったのが
このライブ映像でございます
linked horizon その名さえ知らない
進撃のストーリーも若干難しくて
理解が追いついていない志田が
たまたまエンタメ啜り中に
アニメ最終話を拝見し
「ライブもあったんだ」と
興味本位で啜ったのでございました

アニメOP/EDも知っているか知っていないか
微妙な程度の私でしたが
1周目、迫力と情報量に殴られ
2周目にはこの出会いを
書き留め始めたのでございます

二ヶ月後の君へ

最初の曲はアレなの?ラブレターなの?
サングラスのお兄さんの私信過ぎない?

なるほど?
"俺が観た進撃"

14文字の伝言

カルラさん曲いいなぁ
進撃の歌なんだけど、じゃなかったとしてもグッとくるものがある
畑が舞台だから気になっちゃうんだけど
花道でサスが絞られてスカートに落ちる影が伸びて顔周り、手先に光源を捉えたまま光芒というかゴーストをあえて写すあたりが良い

サングラスお兄さんが見せたかった世界はこれだったのよ!って後からCGで補足してる?のかはわからないけれど、素の映像でも舞台演出だけで十分成り立っている
あれ?歌手よねお兄さん

ちょっとずつ止めながら観ているのだけれど、そろそろサングラスお兄さんって呼んでていいのかみたいな
知りたくなっちゃってちょっと名前だけカンニングしてきた
お兄さんRevoさんっていうのね

巻き戻して気づいたんだけど
ゆるふわロングお兄さんは青と赤のギター使い分けてるし編み込みロングお兄さんはキーボードあるのにピアニカ吹いてる
ここの音色はこっちみたいなこだわり?
メロディに息遣いを乗せたいみたいな?
お兄さんそういうことしてる?

紅蓮の弓矢

やっぱり各楽器が聴きやすいのはそういう仕様? それとも私が何か目覚めた?
対比が良い
圧倒的な巨人ドーン!に細かいパッセージを重ねて人間が技術で立ち向かってる感じお兄さんは道具でも技術でもないって
言ってるけど

サングラスお兄さんのお声癖になってきた
最初は喉やりそうだなって思ってたけれど
お歌素敵なんだけれど印象は
お歌のおにいさんというより
役者というか寿命削って歌ってる
後先考えてない 感情の込め方がお上手
もしかしてエレンと同じ死に急ぎ野郎?
咆哮に濁点がついてる
イ”ェ”ーガー

ちょっと気になったんだけれど
冥府の弓矢は紫、、、
一般的にというか原作でも”死”って黒とか赤とかのイメージだけどサングラスお兄さんは紫
紫?🟣?紫はどこの紫?
たまにアニメ桔梗みたいなお花見たことある気がするけど違うか深掘りしちゃうと
演劇的に”死”を表現しようとする時素直に表現するなら
死≒血=赤
であり、残虐的なほど赤を使いたくなる
例えば赤い照明、赤い布で覆う、背景を赤一色にするなどあるけれど、、、

紅蓮≒赤と仮定して
お兄さんは赤を"死"として使ってない
戦え!アツいぜ!みたいな赤
演劇的にも全然あるけれどじゃあ"死"を赤以外でときたら、私は黒か白だな
お兄さんおもしれえ殿方

待ってお兄さん‼︎
カルラさん曲の演出では赤で死を表現してるじゃないの
具体的な死だから?概念の死は紫?

最期の戦果

韻よ韻 キモチィ
韻を前に持ってくるのがなんか前進してる前のめりな感じがして良い
日本語ってこんなに韻踏めるんだスゴ
日本語がお兄さんに平伏してる
ねぇお兄さん
貴方本当に言葉の無力さを噛み締めてる?
私の方がギッチギチに噛み締めてるよ?

神の御業

クワイア好きにはたまりませんな
というかお兄さんは教会音楽も書けるのかなんでもありだな
つつみこまれるような音作りなのに
暖かさはない
教会だと鐘の音とか使いたくなるけれどしない 鐘の音はウォール教じゃなくて
兵団の帰還に使ってる?探せ!

お姉さんたちアニ以外みんな死んでる?
アニもこの時生死不明というか、、
散ってった女子たちに素敵な音楽でお化粧してくれている
Revoさんは死んだらお歌書いてくれる系の鎮魂歌お供えお兄さんなのね なーむ🙏

自由の代償

自由の、、、?
曲調がコロコロ変わってアニメというか紙芝居的な
最後に凱歌が挿入されてておおおお!


ミュージカルにもリプライズっていうのがあって同じメロディを引用してシーンの対比、心情の変化、回想、人物のテーマとかに使う
曲中に他の曲のメロを引用してるのはそれをしてる?

アナ雪でも使われてて生まれてはじめての「もう1人じゃないの 夢のよう」
が同じメロだけど雪山リプライズでは
「1人だけ残して 帰れない」
この変化に人物の物語を感じてグッとくるねっていうのがミュージカルナンバーのよさでもある

でもこの凱歌部分は"栄光"みたいな概念?の引用なのか、お兄さんが"栄光"を音楽に翻訳したら凱歌で、原作の"栄光"の場面でまた引用されるみたいなことかしら
自分なに言ってる?合ってる?混乱

神の御業からの次曲の間
個人的にはもうちょっと欲しいんだけど
実際の現場はどんな感じで繋いでたんだろう というか楽器の人たちはいつ休憩してるのかな 息してる?
Vn.の帽子のお兄さんとか指ちぎれそうだし
Drs.のお兄さんは多分腕が2本じゃないから袖無い

わかった!
アマプラさんが「暴力」って言ってるの原作とかおいといてお兄さんの音楽の楽譜と情報量が暴力なんだろ!
さてはドSだな

ちょっと待ってや
命削って歌ってるのもお兄さんだわ
あれ?曲作ってるのもお兄さん?
なんで無理した?無理ではないのか

それとも出そうで出ない絞り出した声みたいなのが必要だったのか

自分に対しても無理を強いる究極のドMにしてドS?

またおいおい見返すとして気になったことをちょこちょこ
失礼かもしれないから言語化しにくいんだけれど 触れればこんなに楽しませてくれるのになぜ出会うまでこんなに時間がかかった? コール&レスポンスと簡単な振り付けとか、映像つけたりお兄さんはこんなに歩み寄ろうとしているのに

ミュージカルの畑も身近な人からの英才教育とか影響がないとなかなか現地に観に行ったりしないから同じなんだけれど
難しいな、、、エンタメが総合芸術の真髄が敷居が高いと思われているのか

でも私は出会った!今日ここで!

余談

LHに私の畑と同じ匂いを感じました
「こんなに素晴らしいのになぜ届かない」
「一見さんが増えない」
「初心者にはハードルが高い」
「癖が強い」
「流行音楽じゃない」

近しい畑にいたのに志田は知らなかった
こんな芸術があることを
なぜか、、、
やはりそこには世間からの隔絶感
腫れ物にされている
という意識が、経験が少しずつ積もっているから
誰が悪いという問題ではない

総合芸術は“生もの“である
その場に行って、その場で感じて
その時点から記憶と共に徐々に霞んでいく
感動を残して

だが“ナマモノ"ではない
多くの人が触れていないだけで
触れればきっと惹きつけられる
現実離れしたその場が作る世界に圧倒され
つま先から指先に至るまで
どっぷりと浸かる

だが
多くの人がなぜか触れない
なぜ触れない
興味がないのなら仕方がないが
固定観念が邪魔をするのならば
それは悲しい

音楽は芸術は
人を幸せにできる

我々が、誰かが
作ってしまった畑の柵がなくなって
畦道を通る誰かが
そこに咲く花に
そこになる実に
そこに茂る葉に
ふと足を止めて
「綺麗だ」と言えるように
種を持ち帰って
自分の畑に植えてくれる者を
大切にしたい

我々は変じゃない
美しいものを美しいと言える者だ

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