どう考えても、ポッピングシャワーが一番美味いだろ。
久しぶりの新幹線は、今回もちゃんと私の胸を高鳴らせた。
サーティワンの自販機で、カップアイスを買う。それが私の至福。
店頭で買うポッピングシャワーも確かに美味い。だが、新幹線で食べるポッピングシャワーはダントツに美味いのだ。
新幹線が入線してくるギリギリまで待って、無駄のない動きで支払いを済ませる。ポサッとアイスを受け止めた取り出し口にスプーンが敷き詰められているのも、私がこのアイスを愛す理由の一つだ。

もしもスプーンがなかったら。
そんな恐ろしい事を想像してごらんなさい。身の毛もよだつ、この世の悲劇だ。刻一刻と溶けていくアイスを、見つめることしかできない残酷さは、恋人の死に目に手を握ることさえできない悲しみと等しい。溶けてしまうからな。
大切なアイスを優しく受け止めるだけでなく、絶対にスプーンを忘れさせない「アイスを絶対に食わせたい」という執念も見える。これがBR社とJR社の愛でなくて、なんと言うのだ。こっちが溶けちまうよ。
そんな事を考えながら、スプーンに思いを馳せれば丁度食べごろだ。待ちわびるこの時間が既に美味である。
蓋を外すと、クリームとグリーンの渦に、緑や赤の粒が巻き込まれている。ぺこりと押すと、私よりも先に縁が歓喜に湧き上がっている。そこを、そこを掬うのだ。
頬張る。
これだ。これなんだ。
口腔に広がるクリームをまず堪能。そこからミントの濃い部分を選りすぐって、また一口。濃厚さと爽やかさの旋律が冷たさと共に喉の奥へ消えていくと、口の中にチョコレートの粒が残る。
これを焦って噛み砕くなんて、勿体無い。冷えた舌の上で体温が戻ってくるのをじっと待つのだ。暫くすれば、自ずとチョコレートは君は溶けていくから。
飴粒が裸になると、祭囃子が聴こえてくる。
来た、来た、来た、来た。
爆ぜて、弾け飛んで、踊る。
抑え込んでも跳ね返される。祝福の雨が降り注ぐ。
冷たく閉ざされた者たちが、自由に歓喜する音は痛いくらいだ。
生命は閃光だ。
眩さは刹那だ。
ポッピングシャワーは線香花火だ。
徐々に衰弱する粒が、最後の力を振り絞って震えている。
ついに鼓動を止めた飴達は、砂糖を煮詰めて固めただけの素朴な甘さを残してどこかへ行ってしまう。
それが、誰の片隅にある心の故郷の味がするんだぜ。アメリカでも日本でもある、故郷の味だ。そこへ帰って行くなんて、涙が出るだろ。
冷たくて、あったかくて、甘くて、切ない。
ポッピングシャワーは私の一番熱い抱擁で溶かすほかない。

