押し出しの園
えー、お立ち合い。
旅に出ますと朝から贅沢なご馳走に出会うものでございます。宿の朝ごはん、香ばしい焼き魚、ふっくら卵焼き、そして釜に炊きたてのご飯……つい、あれもこれもと手が伸びる。いやぁ、食べすぎるのも旅の楽しみでございますな。
そんなに食べすぎているのに、旅に出るとつい目に入るものでございますな。山の空気、青い空、そして何より……美味しそうなソフトクリーム。戸愚呂を巻く光る看板。あれは何か、精神に訴えかける何かがありますな。目の前にして我慢できる人がいたら、その人はもう神様でございます。
さて、ある淑女と言いますか、あたしが友を乗せてハイウェイを走っておりました。そのうち助手席の友がそっとあたしの耳に申し上げます。「実は……少し、何処かに寄りたいのですが。」その一言で私はピーンときました。さては、こやつ。...しかしここはハイウェイ。信号もございません。どうしたものかとナビを見遣ると、向かう先に見慣れぬ文字が並んでおります。鬼押出し園。あたしは しめた と想いました。園と名乗るからには、彼女の求める花園も御座りましょう。あたし達はそこへ寄ることにいたしました。
やんわりと車を停め、サイドブレーキをニ”ッと引きますと、目の前に広がる景色に目を奪われます。そこは時を止めた黒い荒波のようにゴツゴツした岩が延々と連なっております。地面を覆うは、数百年前に浅間山から流れ出した溶岩そのものときた。岩の飛沫のなかに、かすかに苔や高山植物が息づき、荒涼の中にも息吹を感じるのでございます。あたしは彼女の本懐を忘れて、袖をぐいと引き園の中を進んで行きました。
時は天明三年、浅間山大噴火。溶岩流や火砕流が山腹からどぉっと北側へ押し出され、平地を覆う。表は冷えて固まるが、その下で溶岩はなお流れていた。固まった表がその流れに巻き込まれ、ひび割れ、押し寄せる。これを繰り返しながら平地を覆い尽くしたのでございます。鬼が押し出したかのように迫ってきたのでしょう。古くから地元の人々は、この地の異様な景観を目にしながら、浅間山を畏れたといいます。
「やぁ、なに、聞いたかい友よ。来た甲斐があったってもんだよ。凄いねぇ。押し出されているねぇ。人間の所業じゃぁないねぇ。...鬼だね。鬼。こうやって溶岩の谷に降りるとさ、あの展望レストランも、観音堂も見えなくなったよ。視界は溶岩で一杯だよ。今尚、私を鬼は押し出しているんだねぇ。ご覧よ、この岩なんておろし金見たいじゃないかい。ここで大根おろせるよ。ねぇ。鬼おろしだよ。」
そう言ってあたしが振り返ると、友がギッと眉間に皺を寄せ、私を紅葉おろしにするかのような鬼の形相でこちらを睨んでおりました。
「押し出されてんのは私だよ、このタコ助」
そうしてタコの頭を小突くと、淑女はあたしを残して花園へと消えていきました。
お後がよろしいようで。

