クリームソーダが溶けても

そぼのそばで

 今度は祖母の話をしよう。

 祖父母の家は田んぼと町がちょうど溶け合うような通りに面していた。祖父が自分で建てたらしい木造二階建て。コンクリの土間には祖父の灰皿。手洗い場には、これまた祖父のポリデント。幼い私がラムネだと思って、一個食べたいと祖母に強請ったことがある。祖母は冷蔵庫をポンジュース、三ツ矢サイダー、太い胡瓜、大きなトマト、あずきバーでパンパンにして出迎えてくれる。幼い頃はそれらが祖父母の好物だと思っていたが、どうやら違うらしかった。

 そんな家に住んでいた二人だったが、祖父を亡くすと祖母は親戚が近くに暮らす小さな家に引き上げた。狭い部屋の中で転んで骨を折り、入院したことがきっかけで施設で暮らし始めた。

 祖母に会いたい。そう母に連絡すると、祖母の好物を一つ教えてくれた。

 クリームソーダだ。

 昭和一桁生まれの祖母は苦労の絶えない日々を過ごし、若くして農家に嫁いだ。子育てと農業に奔走し、自分の時間なんてなかっただろうと母は言う。忙しい日々の、たまのお出かけついでに飲んだ喫茶店のクリームソーダが二人の思い出の味なのだと。

 最後に「もうあなたの事を憶えてなかったら、ごめんね」と、母は申し訳なさそうにそう返してきた。それでもいい、そう思って、咄嗟に「任せろ」と返信した。

 離れていてもまた一つ、祖母の側に近づいた気がした。

 そぼのそばへ

 電車を乗り継いで、祖母の暮らす町までやってきた。

 知らない町。祖母も知らなかった町。
 スーパーで買ったバニラアイスとメロンソーダ。
 祖母は憶えているだろうか。

 私はこの気持ちが溶けないように、整備された道を急いだ。

 

 職員に案内されて広間に入ると、テレビに向いていた十数の視線が私に集まる。「私のお客さんかな」と職員に問うのは私の知らないおばあさまで、「さぁ、だれだろうねぇ」と職員は微笑みかけている。私はぎこちない会釈をして、隠れるように観葉植物の影に座った。

 しばらくすると、廊下の奥から薄紫のカーディガンを羽織った女性が現れた。車椅子を足で漕いでこちらへ向かってくる。祖母だ。私は影から飛び出して、駆け寄った。

 「久しぶり」

 そう言って抱きしめる。「私のこと憶えてる?」なんて言葉が喉に詰まって何も言えないでいると、祖母は私の背をポンポン叩いて「大きくなったね」と返してくれた。

 「あっちにいこうか」と宛てもないのに車椅子を押して歩く。食堂を見つけて中へ入ると、一際大きな窓から濡れたアスファルトが黒く見えた。

 いつもここで食事をしていると言う祖母の定位置に車椅子を止めて、私は隣の椅子に座る。祖母はここから飛行機を眺めるのが好きだという。いつか飛行機に乗ってみたいのだと。

 世間話もそこそこに、私のとっておきを机に並べる。メロンソーダとバニラアイスだ。

 使い捨てのプラコップにぬるいメロンソーダを注ぐ。そこにほとんど溶けたバニラアイスを載せて、ストローを差す。

「これはなぁに?」と祖母が孫特性クリームソーダを見つめる。

 クリームソーダと伝えても、知らない、飲んだことがないと言う。無理もない。見た目は黄緑色に泡立った沼だ。創造してしまった責を負い、全て飲み干そうと思った矢先、祖母がストローに口を付けた。

「甘くて美味しいね。こんなの飲んだことないよ。」

そう言ってストローをくるくる回す仕草は、慣れた手つきに見えた。

 沼になっていない正真正銘クリームソーダの写真を見たり、喫茶店でアルバイトしていたときの話をした。祖母の新しい友人達の話や、残存歯数と車椅子自走速度で右に出る者がいないという自慢話を聞いたり。祖母と女子トークで盛り上がったあと、ふと「私のこと憶えてた?」と聞いてみた。祖母は 誰なんだろう、と思っていたらしい。二人で笑い合った。「大きくなったね」は私が異様にデカく見えたらしい。「あんたが座ってるからや」とふにゃふにゃの二の腕にツッコミを入れる。私のことを忘れてしまっていることなんて、もうどうでも良かった。

 別れ際に「こんな遠いとこまで、なんで来たの」と問うてくる。

 「会いに来たんだよ」と答えても、表情を変えずに祖母が見つめてくる。

 「・・・・・あと、コンサート聴きに来た」と白状する。

 「楽しんできてや。気をつけて。」
 そう言ってエレベーターの扉が閉まるまで、手を振ってくれた。

 私は箱の中でドロドロに溶けてしまった。

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